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国指定重要文化財

旧群馬県衛生所

昭和51(1976)年2月3日指定

施設名称 旧群馬県衛生所(桐生明治館)
設計者名 伊藤安五郎
施工者名 須磨代吉
建築年  明治11(1878)年8月
構造 木造
階数 2階建て
所在地 桐生市相生町2丁目414−6
備考 ◇設計:伊藤安五郎 工頭:須磨代吉 土木:菊地藤吉 石工:森彦治 敷工:茂木梅之助 泥工:松吉伊三郎
  (附[つけたり]指定の棟札より)
◇建築面積:255.743m2  延面積:511.486m2
◇前橋市(現在の群馬会館の土地)に、衛生所兼医学校として建設された。
◇昭和51(1976)年2月3日に、国の重要文化財として指定された。
◇建物の特徴小屋組は和風でありながら、外観の装飾は洋風である(典型的な擬洋風建物)。 屋根は目地漆喰塗で、
  突針付の鬼瓦がついている。 部屋割は、1・2階とも、ほぼ左右対称である。 各部屋は独立し、ポーチ・ベランダか
  ら 出入りするようになっている。 (管理上、仮設の扉を設けた。)階段は1階の室内から2階のベランダに直接出る
  ように なっている。各部屋の天井・壁はすべて紙張である。(管理上、一部は漆喰塗とした)出入口の扉は板戸で、
  玄関ホール・貴賓室のほかは四尺の片開戸である。窓は上下窓で、カーテンの痕跡はなかった。創建当時の家具
  調度品は不 明である。(各部屋のシャンデリアや、貴賓室の家具は復元したもの)外壁はペンキ塗で、幅木は弁柄
  塗(べんがらぬり) である。(これらの色調については、残存する塗装から復旧した)正門・門柱・門扉は創建当時の
  写真をもとに復原した
◇沿革    
明治7年
1月 「衛生局」が熊谷に開局
9年
5月 「衛生局」を「衛生所」と改称し、「熊谷県医学校」が開校
8月21日 第二次群馬県設置
11年
5月 1日 「衛生所兼医学校」の新築工事着工
8月30日 「衛生所兼医学校」竣工
9月 4日 明治天皇御巡幸に際し、天覧
12年
1月 「衛生所」廃止
14年
3月 県会にて医学校費全額否決
6月 「群馬県医学校」廃校
15年
7月 「県立女学校」が本館にて開校
19年
3月 「県立女学校」廃校
20年
3月 「師範学校附属小学校」が本館に移転
27年
4月 附属小学校新築により転出
31年
9月 「群馬県物産陳列館」が本館にて開場
43年
11月  物産陳列館が移転
44年
1月 「群馬県農会」が本館を事務所として利用
昭和3年
6月 5日 相生村が本館払い下げを申請
6月 8日 本館払い下げ許可
9月26日 「相生村役場」として移築工事着工
4年
2月25日 移築工事完成
29年
10月1日 相生村が桐生市へ合併本館は桐生市役所相生出張所となる
34年
4月 1日 市立相生公民館を出張所内に併設
51年
2月 3日 国の重要文化財に指定される
57年
3月31日 出張所及び公民館転出
59年
1月 1日 半解体による保存修理工事を開始(相生村役場時代に改変された部分は全て復旧され、創建当時の姿に整備した)
61年
3月31日 保存修理工事完了
5月 1日 桐生明治館となる
平成2年
  外部塗装等の部分修理を行う
5年
  外部塗装等の部分修理を行う
15年
2月 外部塗装・内部紙張り及び屋根の保存修理工事を開始
9月
  保存修理工事完了
   
◇1階展示室の『S.CHEW銘のピアノ』について
  このピアノは、桐生随一の豪商第12代書上文左衛門の経営する書上商店横浜店が、大正11(1922)年
  12月6日に納入したもので、内部に『周興華洋琴専製所 エス・チュ−ピアノ工場製日本横浜山下町123番地』
  の刻印がある。文左衛門は中国への絹織物の輸出に重点を置き、明治25(1892)年に横浜に支店を開いたほ
  か、後には上海に書上洋行を設立している。残念ながら経済恐慌で経営が不振に陥り、大正9(1920)年に横
  浜と上海から撤退したが、この時のつながりから周興華洋琴専製所の周筱生(しゅうしょうせい)のピアノを購入し
  たものか も知れない。絹で結ばれた横浜と桐生の関係の深さを物語るピアノとも言えるであろう。
参考文献  http://arch.cside.com/f2-gunma44.html
http://www.manabi.pref.gunma.jp/bunkazai/a103024.htm
http://www.gijyutu.com/ooki/kenngaku98-99/gunma-eiseisyo/gunma-eiseisyo.htm

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