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国指定重要文化財

彦部家住宅

平成4(1992)年8月10日指定

施設名称 彦部家住宅
設計者名 不明
施工者名 不明
建築年  推定17世紀前期
構造 木造 萱葺き屋根(主屋)
階数 1階建て
所在地 桐生市広沢町6丁目877番地
備考

◇彦部家住宅
  重要文化財彦部家住宅は、桐生市街地の東南の渡良瀬川右岸に位置しています。屋敷地は、西側に連なる手臼山麓を利用した東西約130メートル、南北約100メートルもある広大な面積で、中世の城館の構えとなっています。
  土塁や濠をめぐらした郭内中央には主屋、南面中央には長屋門が配され、その東脇には冬住みと称する隠居室、そして主屋北側には文庫倉と穀倉が建っています。
  重要文化財に指定されている建物はこの五棟ですが、中世豪族の屋敷構えが良好に残されているところから、敷地約2万6百平方メートルも指定されています。屋敷地内には、北隅の土塁を一段高くした櫓台跡や、その脇に屈折した石垣の搦手口をはじめ、山麓西端には土塁に囲まれた石積みの八幡宮や屋敷神が祀られています。また、指定物件以外にも、彦部家が織物業を盛んに営んでいた大正時代に建てられた女工の寄宿舎や医務所なども遺存しています。
  重要文化財彦部家住宅は、中世から近世にいたるだけでなく、桐生が歩んできた織物の歴史を見ることができる貴重な文化遺産となっています。

◇解体調査によって、柱や梁などの材料の使い方や技法・工法などに、近世初期の古民家見られる要素がすべて含まれていることがわかり、建築年代は17世紀前期と推定され、すでに380年以上もの歴史があることが明らかになりました。
  その時代性を示す主な特徴は次のとおりです。
○座敷の柱が一間毎に建ち、柱間二間半の二つ割で、内法が低い。
○柱材はケヤキ、クリ、クルミなどの雑木を使用し、柱の径が不揃いである。
○床の間は框を高くして、蹴込板とする奥行きの浅い押板形式となっている。
○小屋組の梁は細く、うりむき幅も狭いこと。
  などをあげることができます。
  居室部は土間に接して、二室、奥に三室の五間取りで、広間がタケスノコ床となっていることも、この近辺では数少ない特徴となっています。

◇彦部家の歴史:彦部家は、家蔵の由緒書や系図によると、7世紀後半天武天皇の皇子高市親王を祖とする旧家で、桐生へ定住してから16代を数えます。
 鎌倉時代には、陸奥国菊田郡彦部郷(現岩手県紫波町)の領主を勤め、その土地の名である「彦部姓」を名乗るようになりました。室町時代には足利将軍の直参として仕え、京都で活躍しています。その後、関東の動静を幕府へ注進するため広沢郷へ留まり永禄四年(1561)に太田金山城主由良成繁から千匹の地を賜り、現在地に屋敷を構えたものです。
 江戸時代になると帰農しますが、古くから染織を営んでいました。特に文化・文政期(19世紀前半)には黒染技法を習得して黒繻子を織りだすようになり、桐生でも有数な織物の経営者となりました。
 明治時代後半からは本格的に織物業を営み、桐生織物同業組合の組合長になった彦部駒雄を輩出するなど、桐生織物の発展に寄与しています。

◇保存修理工事:彦部家住宅は主屋のほか冬住み、長屋門、文庫蔵、穀倉が重要文化財に指定されています。
 主屋は、平成7年10月から全面的な解体による保存修理工事が行われ、平成10年6月に竣工しました。生活様式の変化に応じて、さまざまに改造されていましたが、復原工事に先立つ綿密な調査や、さらに民家では珍しい発掘調査によって、創建当初に近い形に復原することができました。
 修理後もここに住みながら保存していくために、土間から見えない2室は修理前と同じ状態に整備してあります。
 北面の突出した部分は、明治時代に建てたられたもので、主屋とは建築年代が異なりますが、千佳から彦部家が江戸時代から染織を行っていたあかしが発見されたために、保存することにしたものです。
 主屋に引き続いて、他の建物についても修理が行われ、平成12年12月に完成しました。

参考文献  彦部家住宅配布パンフレット

 


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