国指定史跡

旧富岡製糸場

平成17(2005)年7月14日指定

  

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施設名称 旧富岡製糸場
設計者名 エドモンド・アルフレッド・バスチャン(Edmond Alfred Bastien)
施工者名 大蔵省直営
建築年  工場完成:明治5年(1872)7月 操業開始:明治5年(1872)10月
構造

 

階数 東繭倉庫  2階
西繭倉庫  2階
繰糸場   1階
ブリューナ館2階
2号館    2階
3号館 2階
女子寄宿舎2棟
その他
所在地 富岡市富岡1番地1
富岡製糸場管理事務所
0274-64-0005
0274-64-3181
備考

◇下記の建造物は、平成18年7月5日付で国の重要文化財に指定された。       
       繰糸所(そうしじょ) 
       東置繭所(おきまゆしょ) 
       西置繭所  
       蒸気釜所  
       首長館       
       女工館  
       検査人館  
       鉄水溜(てつすいりゅう) 
       下水とう(下水・汚水排出のための暗渠)

東繭倉庫 長さ104.4m
       幅 12.3m
       高さ14.0m
       建築面積1,527u
       延床面積3,048u
       柱は約30cm角で、すべて通柱。

西繭倉庫 平面構造は東繭倉庫と同じ。
       中門(通路)がなく窓数が異なります。

繰糸場   長さ141.8m
       幅12.6m
       高さ11.8m
       面積1,739.24u
       柱は約30cm角で、すべて通柱。

ブリューナ館
2号館
3号館
女子寄宿舎2棟
その他

 旧富岡製糸場は、明治政府が設立した官営模範工場である。幕末の頃、ヨーロッパでは蚕
の微粒子病が流行して生糸生産が激減し、諸外国からの日本の生糸・蚕種の需要が高まった。
富国強兵・殖産興業政策を掲げた明治政府は、主要輸出品である生糸・蚕種の粗製濫造を防ぎ、また輸出
振興と品質向上を意図して技術者を招聘(いわゆるお雇い外国人)して、在来の座繰製糸に代わる洋
式の器械製糸技術を導入した工場を設立し、全国に模範を示そうとした。明治3年、政府はフランス人
技師ポール・ブリューナを傭聘し、工場を設立させることにした。ブリューナは翌年渡仏し製糸器械一式
を購入し、同時にフランス人の生糸検査人・工女を雇い入れ帰国した。工場の場所として、江戸時代から
養蚕業が盛んで優良な原料繭が確保でき、輸出地である東京・横浜から遠くなく、製糸に必要な用水
が確保でき、広大な元代官屋敷地が残って取得が容易であった岩鼻県富岡町城(現富岡市)の3町余
の平坦地が選ばれた。製糸場の設計は、幕末に横須賀製鉄所建設に関わったフランス人バスチャン
が当たり、明治4年3月に着工、明治5年7月にほぼ完成をみた。設立当初は、東置繭所・西置繭所
(2階建て切妻桟瓦葺、木骨煉瓦造、フランス積み)、繰糸所、煮繭所、蒸気汽罐所、鉄水槽、排水溝
等の製糸に関わる施設と外国人用官舎・日本人工女用寄宿舎等が建てられた。開業時(明治5年10
月)には、各地からの視察が相次ぎ、富岡製糸場に倣った民間の器械製糸工場が各地に設立され
た。明治9年には、富岡製糸所と改称された。慢性的な工女不足などにより開業当初から赤字が続
き、明治26年に三井組へ払い下げされた。また明治35年には原合名会社へ譲渡、さらに昭和14年
には片倉製糸紡績(現在の片倉工業)へ譲渡されて昭和62年まで操業が続けられた。
 旧富岡製糸場は我が国近代の経済・産業史を語るうえで重要な施設であり、設立当初来の敷地・建
物群が大きな改変を受けずに極めて良好に残る貴重な遺跡である。

参考文献一覧
◆ 国指定文化財 データベース( http://www.bunka.go.jp/bsys/searchlist.asp )
◆ 富岡製糸場 ― Wikipedia ― ( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%B2%A1%E8%A3%BD%E7%B3%B8%E5%A0%B4 )
◆ 近代建築散策:片倉工業富岡工場(旧官営富岡製糸場)( http://maskweb.jp/b_tomisilk_0_1.html )

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